=用語集=
| 用語 | ふりかな | 意味 | |
| あ | 安芸国在庁 | あきこくざいちよう | 在地の領主で、国司の事務を担当するまでになった |
| 新地元勢力のこと | |||
| あ | 安芸国造 | あきのくにのみやっこ | 大和朝廷より任命された安芸国をまとめた地方豪族 |
| あ | 飽速玉命 | あきはやたまのみこと | 天湯津彦(あめのゆつひこのみこと)の五世の孫 |
| あ | 明知 | あけち | 明知方とは知行地村のうち知行地として給人に宛行われた以外の土地をさし、 |
| 知行地とされたものの残余分や知行地を没収したものなどがこれにあたる。 | |||
| あ | 上ケ米 | あげまい | 借知のこと。家中の知行や切米・扶持米から、一定の率を定めて強制的に |
| 借り上げる制度で、家臣にとっては事実上の減俸を意味する。 | |||
| 藩財政の補填策として寛永十六年(1639)から始められたが、延宝三年(1675) | |||
| に恒常化して幕末にいたったものである。享保四年(1719)の上げ米が一つ成 | |||
| (すなわち、年貢率を五つ成とした場合は知行物成は四つ成となる)から嘉永 | |||
| 元年(1848)の三つ成(同じく知行物成は二つ成となる)となって、一躍三倍に | |||
| ふくれている。 | |||
| あ | 宛行う | あてがう | 所領などを与えること。 |
| あ | 尼子経久 | あまこ゛つねひさ | 戦国時代の武将。出雲守護代。山陽一帯に勢力を伸ばしたが、大内義興 |
| 及びそれに与(くみ)した毛利元就によって拡大を阻止された。 | |||
| あ | 天湯津彦命 | あめのゆつひこのみこと | 安芸国造(あきのくにのみやつこ)等の祖 |
| あ | 改役 | あらためやく | 検査する役人。 |
| あ | 安堵 | あんど | 中世・近世に土地の所有権・知行権などを将軍や領主が承認すること。 |
| あ | 安徳天皇 | あんとくてんのう | 母は建礼門院 |
| い | 位 | い | 従五位下などとされているもので、正一位から従八位下までがあった。 |
| これも朝廷から授与される。 | |||
| い | 厳島神社 | いつくしまじんじゃ | 推古元年(593)に佐伯鞍職(さえきのくらもと)が創建。元々厳島信仰は |
| 海に暮らす人々が弥山(みせん)附近の巨石群を中心に島全体を | |||
| 神の宿る所として崇める原始的信仰に始まる。 | |||
| い | 尓今 | いまに | いまだに。今となっても。 |
| い | 院仕 | いんじ | 上皇・法皇・女院の御所につかえること。 |
| え | 謁 | えつ | 身分の高い人に会うこと。おめみえ。 |
| え | 江戸上屋敷 | えどかみやしき | 広島藩の江戸藩邸は、幕府の拝領屋敷として、桜田に上屋敷、赤坂に中屋敷、 |
| 青山に下屋敷、鉄砲洲築地に蔵屋敷などがあった。 | |||
| え | 江良房栄 | えらふさひで | 陶晴賢の重臣 |
| え | 延喜式神名帳 | えんぎしきじんみょうちょう | 延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、 |
| 当時「官社」とされていた全国の神社の一覧である。 | |||
| お | 応仁の乱 | おうにんのらん | 室町期京都を舞台とし諸国の大名が東西二派に別れての |
| 11年続いた内乱。 | |||
| お | 大内義興 | おおうちよしおき | 室町末期の武将。周防を中心とする六か国の守護。 |
| 1508年将軍足利義澄を追って義稙(よしたね)を将軍職に復させ、 | |||
| 自らは管領代となる。対明貿易権を独占した。 | |||
| お | 大内義尊 | おおうちよしたか | 大内義隆の実子。 |
| お | 大内義隆 | おおうちよしたか | 戦国時代の武将。周防を中心とする七か国の守護。義興の子。学芸を好み、 |
| 山口に京文化を移植し、また明・朝鮮の文物を移入。大内版を開版。 | |||
| キリスト教布教を許す。家臣陶(すえ)晴賢に襲われ自刃。 | |||
| お | 折敷畑合戦 | おしきばたのかっせん | 天文23年(1554)廿日市西北部で毛利氏と陶氏との間で行われた合戦。 |
| お | 大江広元 | おおえひろもと | 鎌倉初期の幕府重臣。初め朝廷に仕えたが、源頼朝に招かれ公文所、 |
| のち政所(まんどころ)の別当となる。 | |||
| お | 大友 能直 | おおともよしなお | 能直は頼朝より豊後国の守護職に任ぜられた豊後の祖。 |
| お | 御囲山 | おかこいやま | 囲林ともいう。幕府・藩が緊急用材または公用を含めた自家用材を確保 |
| するために設定した保護林をいい、搬出便利の山を指定し、下草取・ | |||
| 枯木取も許さなかった。 | |||
| お | 御蔵払 | おくらばらい | 藩の御蔵に年貢米を納入すること。 |
| お | 長百姓 | おさびゃくしょう | 村民の代表という意味で、村内の集落を単位に長百姓がおかれた。 |
| お | 御仕入楮 | おしいれこうぞ | 広島藩では宝永三年(1706)紙座を設けて専売制による統制策を確立した。 |
| 製紙原料の楮は、各村に一定の生産額を割当て置き、原則としてすべて藩で | |||
| 買い上げた。これを御仕入楮という。 | |||
| お | 御建山 | おたてやま | 御建山は藩用に供するための山で、当初は松・杉・檜などの良木の育成が |
| 可能な場所は御建山とする方針をとって設定され、そこではどんな木でも | |||
| 伐採を禁じられた。 | |||
| お | 御留山 | おとめやま | 御留山は、(1)御建山の立本を藩用に供した後、五年ないし一〇年間伐採 |
| を禁じて再び生育させるために御留山とした場合や、 | |||
| (2)水源涵養や砂防などの治山の目的で設定した場合もあった。 | |||
| お | 御山方 | おやまかた | 山林の事に関して、郡廻り及び山奉行のは常に各郡を巡視して実地を監督する。 |
| か | 廻達 | かいたつ | それぞれへ回して知らせること。 |
| か | 桂元澄 | かつらもとすみ | 厳島合戦で陶晴賢に勝利した毛利元就は宿敵尼子氏も倒し、 |
| 中国地方を支配する戦国大名となり、元澄が桜尾城主 | |||
| 置かれ、次に毛利元清、秀元へと受け継がれた。 | |||
| 用語 | ふりかな | 意味 | |
| か | 紙屋株 | かみやかぶ | 広島藩は宝永三年(1706)紙座を設けて専売制による統制策を確立した。 |
| 製紙原料の楮は原則としてすべて藩で買い上げ、これを製紙割賦額に応じて紙漉人に | |||
| 交付し、漉(す)かれた諸紙は見取りの上紙蔵へ納めて藩の定める価格で買い上げる。 | |||
| 紙には官印を捺して無印の抜紙と区別し、公用・家中向けのほかは商人を通じ販売さ | |||
| れたが、享保期からは紙屋株(城下のほかに主要在郷町にも設ける)商人にのみ | |||
| これを許可して、無印紙や無株者による販売を禁止した。 | |||
| か | 掃部允 | かもんのじょう | 掃部允とは中央の官職名で、宮中の掃除や |
| 儀式の会場の設営を行う役職のこと | |||
| か | 掃部頭 | かもんのかみ | 宮中の畳・簾(すだれ)・調度設営、及び儀式の際の掃除・式場設営を担当する |
| か | 官 | かん | ○○介、○○守、○○大夫などといったもので、朝廷から授与されるもの。 |
| か | 官位 | かんい | 官職と位階。国家の役人の、仕事の役割と地位。 |
| か | 官職 | かんしき | 官制上の地位。 |
| か | 管領 | かんれい | 管理・支配すること。 |
| き | 吉川元春 | きっかわもとはる | 戦国時代の武将。毛利元就(もとなり)の子。従兄吉川興経(おきつね)の養子。 |
| 山陰の尼子氏を平定、弟小早川隆景と協力し、毛利元就氏の中国地方経略に貢献。 | |||
| き | 金岡用兼 | きんこうようけん | 廿日市市洞雲寺の開祖。周防(徳山 現周南市)の龍文寺の僧金岡用兼禅師その人 |
| である。龍文寺は陶晴賢の陶家の菩提寺でもある。 | |||
| き | 麾下 | きか | 大将の采配(さいはい)のもとの意 |
| き | 給庄屋 | きゅうしょうや | 与庄屋・給与頭・給役。知行地および知行地百姓が決定すると、給人は知行地百姓 |
| の中から給庄屋を任命した。給庄屋は文字どおり給知の庄屋という意味であるが、 | |||
| 組内でも筆頭の高持で、しかも人柄が良く、依怙贔屓しないものから選ばれ、年貢 | |||
| 納入などの責任者とされた。 | |||
| き | 給知 | きゅうち | 江戸時代、各藩で藩士に給与した知行地。 給領。 |
| ぎ | 刑部少輔 | ぎょうぶしょう | 裁判・処罰を司る役所の官位 |
| ぎ | 刑部大輔 | ぎょぶたいふ | 裁判・処罰を司る役所の官位 |
| く | 雑腊 | くさぐさのきたひ | 魚や獣の乾し肉 |
| く | 公事奉行人 | くじぶぎょうにん | 事務的な仕事をする人 |
| く | 国造 | くにのみやっこ | 古代、大和の王権に服属した地方首長の身分の称 |
| く | 首実検 | くびじっけん | 戦場で討ち取った敵の首を大将の前で面識者に見せ、 |
| その首の主を確認させたこと。 | |||
| く | 公文所寄人 | くもんじょよりうど | 財政や書類作成などの一般政務を公務を施行し、雑事を修め正す役。 |
| ぐ | 郡元 | ぐんもと | 郡役所(代官所)の所在地。広島藩では祇園(沼田)・海田(安芸)・廿日市(佐伯)・ |
| 可部(高宮)・吉田(高田)・三次(三次)・西城(奴可)・庄原(三上)・四日市(賀茂)・ | |||
| 本郷(豊田)・甲山(世羅)・吉舎(三谿)・後地(御調)・本郷(甲奴)・本地(山県)・ | |||
| 宮内(恵蘇)にあった。ここに勘定組と番組とを常時詰めさせることにし、代官が機 | |||
| に臨んで出郡した。 | |||
| け | 建礼門院 | けんれいもんいん | 平清盛の娘 安徳天皇の母 |
| け | 家人 | けにん | 御家人(ごけにん)」に同じ。 家来 |
| げ | 下向 | げこう | 都から地方へ行くこと。 |
| げ | 下克上 | げこくじよう | 応仁の乱以降将軍・幕府・朝廷の権威は地に落ち、下の者が上の者を押しのけて力を持つ下克上の世となった。 |
| こ | 降人 | こうじん | 降参した人 |
| こ | 公地公民 | こうちこうみん | 土地・人も天皇のものとする考え方 |
| こ | 国衙 | こくが | 国司の役所 |
| こ | 国司 | こくし | 律令制で、中央から派遣され、諸国の政務を管掌した地方官。 |
| 守(かみ)・介(すけ)・掾(じよう)・目(さかん)の四等官と史生 | |||
| (ししよう)を置いた。その役所を国衙(こくが)、国衙のあるところを国府といった。 | |||
| 狭義には守(長官)のみをさす。国宰。くにづかさ。くにのつかさ。 | |||
| こ | 国人衆 | こくじんしゅう、「こくにん」とも | 中世後期の在地領主・地侍などの称。 |
| こ | 腰林 | こしばやし | 藩有林は御建山・御留山に、農民利用の林野は、村方の入会地は主として野山に、 |
| 個別利用林野は腰林に編成された。 | |||
| こ | 小早川隆景 | こばやかわたかかげ | 安土桃山時代の武将。毛利元就の三男。通称、又四郎。小早川家を継ぎ、 |
| 毛利輝元をたすけて水軍を編制、瀬戸内海に勢力をふるった。のち豊臣 | |||
| 秀吉に仕え、四国・九州出兵、文禄の役に活躍。 | |||
| こ | 小普請 | こぶしん | 小規模の修築工事。 |
| こ | 惟栄 | これよし | 平安末期から鎌倉初期にかけての豊後の武将緒方惟栄 ( おがたこれよし) 。 |
| こ | 墾田 | こんでん | 新しく開発した土地のこと |
| こ゛ | 御印紙 | ごいんがみ | 抜紙と区別するため御紙蔵で官印を捺した紙。 |
| こ゛ | 号す | ごうす | 名付ける。 |
| こ゛ | 期す | ごす | 期待する。 |
| ご | 御家人 | ごけにん | 本領安堵(あんど)・新恩給与・官位推挙などの保護を受けたが、御家人役と呼ばれる |
| 多くの義務を負わされた。 | |||
| 江戸初期、将軍直属の一万石以下の家臣の称。のちに旗本と御家人とに区別され、 | |||
| 御目見(おめみえ)以下の者とされた。直参(じきさん)。 | |||
| こ゛ | 御料 | ごりょう | 天領。江戸幕府直轄の領地。幕府の経済的基盤をなす。 |
| 用語 | ふりかな | 意味 | |
| ご | 御用木 | ごようぼく | 松・椴・杉・檜・栗・槻・栂・楠・弓木等が指定された。御用木に指定されると、 |
| 農民の所持・利用にゆだねられた林野であっても、藩に無断で伐採するこ | |||
| とは禁じられた。そして、「御帖付本数人名帖」に樹種・本数・持主を登録さ | |||
| れ、風折・枯本になったときは藩に届け出て、検査後払下げになり、伐り跡 | |||
| には御用木の植栽が義務付けられていた。 | |||
| さ | 祭祀 | さいし | 神々や祖先などをまつること。 |
| さ | 佐伯影弘 | さえきかげひろ | 厳島神社神主 掃部允景弘 平景弘ともいう |
| さ | 佐伯鞍職 | さえきのくらもと | 厳島神社神主 |
| さ | 竿留 | さおどめ | 柿の収穫を一時禁止すること。 |
| さ | 竿甘 | さおゆるめ | 柿収穫禁止の解除。 |
| さ | 佐西郡 | 安芸国の現在の廿日市市・大竹市・佐伯郡・広島市佐伯区・西区の一部に当るエリア。 | |
| ささいごおり | かって厳島の神領であった佐西郡は隣接する大名勢力東は安芸の武田氏、西は周防 | ||
| ささいぐん | の西は周防の大内氏二つの勢力争いの中に巻き込まれ、神主興親が京都で死ぬと国 | ||
| 元廿日市で神神主家争いが起こった。 | |||
| さ | 佐東郡 | さとうごおり | 平安期仁平二年(1152)佐伯郡が佐西と佐東郡に分かれる |
| さ | 三種の神器 | さんしゅのじんぎ | 皇位のしるしとして伝えられている三つの宝物。 |
| ①八咫(やた)の鏡・ | |||
| ②草薙(くさなぎ)の剣(天叢雲(あまのむらくも)の剣(つるぎ)) | |||
| ③八尺瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)。 | |||
| さ | 山陽道 | さんようどう | 奈良から大宰府を結んだ道 |
| し | 職 | しき | 幕府から補任されるもので、守護や管領職、探題などがあった。 |
| し | 嗣子 | しし | 跡継ぎ |
| し | 下宿 | したやど | 大名などが宿駅の本陣へ泊る際、家臣たちの宿泊する所。 |
| し | 社旧記 | しゃきゅうき | 神社の成り立ちを書きしるしたもの |
| し | 社家 | しゃけ | 神職を世襲する家柄。 |
| し | 赦免 | しゃめん | 罪を許すこと。過失を許すこと。 |
| し | 守護 | しゅご | 鎌倉幕府が1185年義経・行家の逮捕を名目として国ごとに設けた職名。大番催促、 |
| 謀反人・殺害人の検断などに当たらせた。有力御家人が多く任命され、鎌倉末期 | |||
| には国内の地頭・御家人を傘下に収め、国衙(こくが)の職務を奪い吸収して領主化 | |||
| していった。 | |||
| 室町幕府の地方役人。応仁の乱後、守護は力を強め領主化して大名となり、 | |||
| 守護大名となるものが多かった。 | |||
| し | 守護職 | しゅごしき | 守護の職。 |
| し | 荘園 | しょうえん | 貴族・社寺の所有する土地 |
| し | 所領 | しょりょう | 領土のこと |
| し | 真言宗 | しんごんしゅう | 標高663㍍の極楽寺山上に建つ。 行基創建。 |
| 上不見山極楽寺 | じようふけんざん ごくらくじ | ||
| し | 所領 | しょりょう | 領有している土地。領地。 |
| し | 所職 | しょしき | 財産として相続・譲渡・売買の対象となった職。 |
| 荘園所職・寺社所職・鋳物師所職など。 | |||
| し | 少允 | しょうじよう | 官位 |
| し | 少属 | しょうさかん | 官位 |
| し | 卒す | しゅっす | 特に律令制における官僚の序列、四位・五位の人の死去をいう。 |
| し | 出奔 | しゅっぽん | 江戸時代、徒士(かち)以上の者が逃亡して跡をくらますこと。 |
| し | 薪炭木材十歩一税 | しんたんもくざいじゅうぶいちぜい | 郡中人民所有の山林より伐採する木材又は薪炭等は、妄に他方へ輸出を許さす、 |
| 其広嶋城下へ輸出するものに対しては、人馬を論せす其実際輸入する物品の価 | |||
| 格十分の一を徴収する所にして、左記の各村に之か管理者を置き其運輪する現 | |||
| 品に対し直に徴収せしむ〔廿日市は寛永五年より、串戸・大野・玖波は寛永十六 | |||
| 年より、矢野・海田村は寛永廿年より、竹原及沖は承応四年より徴収せり〕、然れ | |||
| とも之か処理頗る繁擾なるを以て、特に管理者を置き、之をして一週年間之に委 | |||
| 任管理せしめ。 | |||
| し | 神領 | しんりょう | 神社の領地 |
| し | 神領衆 | しんりょうしゅう | 神主家の家臣団のことで神領を管理していた。 |
| 土着した神主家の一族や神主家と主従関係を結んだ在地の | |||
| 土豪などから後世されていた。 | |||
| じ | 直参 | じきさん | 主君に直接仕えること。また、その人。 |
| 江戸時代、将軍直属の武士で、一万石以下の者。 | |||
| 旗本・御家人の総称。幕臣。 | |||
| じ | 地御前 | じごぜん | 世界遺産、「宮島」の対岸に位置する厳島をはるかに礼拝する所であったと考えられる。 |
| 用語 | ふりかな | 意味 | |
| じ | 地頭 | じとう | 平安末期、開発領主のこと。また、それが有力者に土地を寄進し、 |
| 自らは荘園管理にあたった者。 | |||
| 鎌倉幕府の職名。荘園における下地(したじ)管理権・徴税権・警察権・ | |||
| 裁判権を有し、領域内住民を支配した。1185年、源頼朝が制度化。 | |||
| 承久の乱以後増加し、荘園領主を圧迫して領有を進めていった。 | |||
| 室町時代、(2)の系統をひく在地領主。次第に守護の被官となった。 | |||
| 江戸時代、地方(じかた)知行を与えられた大名の家臣または幕府の旗本。 | |||
| じ | 重臣 | じゅうしん | 重職にある臣下。 |
| じ | 城督 | じょうとく | 城の司令官 |
| じ | 上洛 | じょうらく | 地方から京都へ行くこと。 |
| じ | 治部大輔 | じぶたいふ | 官位 |
| じ | 治部少輔 | じぶしょう | 官位 |
| す | 陶興房 | すえおきふさ | 大内義興、義隆の元で周防守護代を務めた。二男が隆房(晴賢) |
| す | 陶隆房 | すえたかふさ | 陶興房の二男、後に陶晴賢と改名 |
| す | 陶晴賢 | すえはるかた | 陶隆房改め晴賢 |
| す | 杉隆真(景教) | すぎたかまさ(かげのり) | 藤原神主家滅亡後、大内氏より権限を大幅に制限された神主に任ぜられた。 |
| せ | 世襲 | せしゅう | 地位を代々受け継ぐこと。 |
| せ | 戦国大名 | せんごくだいみょう | 戦国時代が始まり争乱の中で旧来の守護大名は没落し、新たに戦国大名が生まれた。 |
| せ | 先達而 | せんだって | さきごろ。 このあいだ。 |
| そ | 奏請 | そうせい | 天皇に申し上げて、その決定を求めること。そうしょう。 |
| そ | 惣代 | そうだい | 仲間全部の代表者。総名代。 |
| そ | 曹洞宗 | そうとうしゅう | 1227年道元によって日本にもたらされた、臨済宗とならぶ禅宗の二大宗派。 |
| ぞ | 造果保 | ぞうかほ | 東広島市高屋町 小泉氏平と厳島神主藤原親直と所領をめぐり百数十年紛争が続いた。 |
| た | 大寧寺 | たいねいじ | 長門湯本温泉のシンボルで、「西の高野山」とも呼ばれる曹洞宗・大寧寺。陶晴賢 |
| の謀反で大内義隆は難をのがれたが、ここ大寧寺で切腹。 | |||
| た | 平 知盛 | たいらとものり | 文治元年(1185)壇ノ浦源平合戦 平氏総大将 |
| た | 武田元繁 | たけだもとしげ | 安芸の佐東、山県、安南の分郡守護。元綱の子。大内義興が将軍・足利義稙を |
| 奉じて上洛するとこれに従う。その後、義興不在の間に安芸国で紛争が起こった | |||
| ため義興の命で安芸に戻ったが、大内氏からの独立を画策して挙兵、有田合戦 | |||
| で毛利元就に敗れて戦死した。 | |||
| た | 援け | たすけ | たすけること |
| た | 頼母子 | たのもし | 助的な金融組合。組合員が一定の掛金をなし、一定の期日に抽籤または入札によって |
| 所定の金額を順次に組合員に融通する組織。 | |||
| だ | 大属 | だいさかん | 官位 |
| だ | 大允 | だいじょう | 官位 |
| だ | 大束 | だいそく | 一尺二寸又は一尺五寸の定寸に切った割木の束のこと。 |
| だ | 内裏 | だいり | 天皇が普段生活をする場所 |
| ち | 知行 | ちぎょう | 大名の配下(武将・武士)に与えられていた 「土地」 のことです。 |
| 戦国時代、手柄(勲功)を立てた武将にはそのご褒美・恩賞として、 | |||
| 「知行」が与えられた。下級の武士は普通に大名から俸録(給料)を | |||
| 貰っていたが、大きな手柄を立てたり、勲功を重ねていって出世すると | |||
| その土地一帯を支配する権利である「知行」を褒美として貰い、その | |||
| 土地の 「領主」 や 「代官」 といった地位に付くことができた。 | |||
| 与えられた土地から得られる税金や年貢などは、そのままその武士の | |||
| 収入となり、つまり名実共に、その土地の 「支配者」 となれた。 | |||
| ち | 中央集権 | ちゅうおうしゆうけん | 天皇を中心とした国家のこと |
| て | 殿上人 | てんじょうびと | 位の高い公家のこと |
| で | 出水 | でみず | 降雨のために、河川などの水量が増すこと。 |
| と | 藤太郎(兼藤) | とうたろう (かねふじ) | 友田興藤の兄の子 |
| と | 友田興藤 | ともだおきふじ | 藤原氏一族で神主の友田興藤は尼子・武田方と西の大内氏との渦中に |
| たたされ、最後は大内氏によって天文10年(1541)に桜尾城は包囲され | |||
| 自刃した。藤原神主家最後の桜尾城主。 | |||
| ど | 土豪 | どごう | この土地に勢力をもつ一族のこと。 |
| な | 名代の部 | なしろのべ | 国造の曲部の一部を割いて、王室の費用を捻出した部のことをいう。 |
| に | 二位尼 | にいのあま | 平清盛の妻 |
| に | 女房 | にょうぼう | 高位の女官 |
| ね | 年行司 | ねんぎょうじ | 村入用の監査のため長百姓の中から「年行司」が選ばれていた。 |
| ね | 懇ニ | ねんごろに | 念入りに。 |
| は | 速谷神社 | はやたにじんじゃ | 厳島神社、多家神社とともに安芸の三大式内社のひとつである。 |
| は | 判物 | はんもつ | (ハンモノとも。書判のある物の意) 室町時代以降、将軍・大名などが下の者 |
| に宛てた文書で、花押(かおう)のあるものの総称。御判。御判物。 | |||
| ば | 番組 | ばんぐみ | 代官の下僚機構として、勘定組と番組がおかれた。徒士・足軽のもの五、六人からなり、 |
| その一部の者が郡元代官所に常駐して庶政の現地処理に携わった。 | |||
| したがって、村役人はこの下に位置づけられた。御代官手附。 | |||
| 用語 | ふりかな | 意味 | |
| ば | 番衆 | ばんしゅう | 警護・雑務をするひとのこと。 |
| ひ | 被官衆 | ひかんしゅう | 中世、上級武士に仕えて家臣化した下級武士。 |
| ひ | 広就 | ひろなり | 神主。興藤の弟四郎 掃部頭広就と名乗る。 五日市城で切腹 |
| ひ | 檜皮師 | ひわだし | 「檜皮葺」(ひわだぶき)の技術を持つ職人 |
| ふ | 藤原興親 | ふじわらおきちか | 藤原教親の死後神主は子の宗親から興親に移った。 |
| 興親には子がなく京都で死ぬと国元(廿日市)で跡目争い | |||
| ・・・・・神主家の争いが起こった。 | |||
| ふ | 藤原親実 | ふじわらちかざね | 鎌倉幕府の御家人。桜尾城初代の城主であり、神主 |
| ふ | 藤原教親 | ふじわらのりちか | 応仁の乱の西軍に参加。武士化している神主。毛利一族長屋氏の出身 |
| で銀山城の武田氏が社領を侵すので、実力で社領を守るため | |||
| 藤原氏の養子として神主家を相続した。 | |||
| ふ | 藤原宗親 | ふし゜わらむねちか | 藤原教親の子 |
| ふ | 藤原 光能 | ふじわらみつよし | 後白河法皇の近臣であった藤原光能は、平家とりわけ清盛の横暴を憎み、 |
| 頼朝に対して平家追討の院宣を書いた。 | |||
| ふ | 不輸 | ふゆ | 租税の納入を免除されることであるが |
| へ | 種箆 | へら | 現在の廿日市市平良の地名に関係 |
| ほ | 報恩講 | ほうおんこう | 祖師の忌日に報恩のために行う法会。浄土真宗では、開祖親鸞の忌日 |
| (陰暦一一月二八日)を最終日とする七昼夜にわたり法要を行う。 | |||
| ほ | 奉公構 | ほうこうかまい | 江戸時代、改易し、他家への奉公をさしとめ、その土地から追放する刑。 |
| 切腹に次ぐ武士の重刑。 | |||
| ほ | 干鰯 | ほしか | 脂をしぼったイワシを乾したもの。ニシンも用いる。 |
| 江戸時代、乾燥肥料として農業の発展に役立った。 | |||
| ほ | 火立岩 | ほたていわ | 毛利元就が厳島合戦の時ここから厳島へわたった。阿品に碑柱あり。 |
| ほ | 本陣 | ほんじん | 軍の大将がいる場所。 |
| ま | 政 | まつりごと | 政治のこと |
| ま | 丸 | まる | 日本紙を数えるのにいう語。 |
| 半紙は六締(しめ)、美濃紙は四締、奉書紙は一○束、杉原紙は八束を一丸とする。 | |||
| み | 見取 | みとり | 検査。 |
| み | 見取米 | みとりまい | 新開が造成されるとはじめ数年間は年貢・諸役が免除された。その後、見取米といって、 |
| その年々の収穫に対して年貢が賦課された。そして耕地の状態が安定したと認められると、 | |||
| 地詰が実施されて、石高が確定し、高付地となった。 | |||
| み | 源 範頼 | みなもとのりより | 平治の乱で敗死した源氏9代目の棟梁・源義朝の六男。 |
| み | 宮川甲斐守 | みやがわかいのかみ | 陶晴賢部将 |
| み | 屯倉 | みやけ | 大化前代、大和政権直轄の田畑。 |
| み | 明法博士 | みょうぼうはかせ | 明法道の教官の長。 |
| む | 無印紙 | むいんがみ | 広島藩では浅野氏入封以来、紙・楮の生産・販売を農民の自由にまかせていたが、 |
| 正保三年(1646)には「御紙方」を設けて増産と統制にのり出した。漉き上がった紙は | |||
| すべて検査の上買上げられ、紙蔵に収納されたものには、正規の品であることを証 | |||
| するため官印が捺された。 官印が捺された。 | |||
| む | 村役人 | むらやくにん | 庄屋・組頭(与頭)をさす。庄屋は一人が原則であったが、村高の大小やその他種々の |
| 理由によって二、三人任命される場合もあった。組頭は村をいくつかに分けて組ごとに | |||
| 一人おかれたから、一村としては数人になる場合もあった。 | |||
| め | 名刹 | めいさつ | 由緒ある名高い寺のこと。 |
| も | 毛利秀元 | もうりひでもと | 桜尾城主 |
| も | 毛利元清 | もうりもときよ | 桜尾城主 |
| も | 毛利元就 | もうりもとなり | 戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、 |
| 陶氏を討って周防・長門を支配下に収め、出雲の尼子氏を倒して中国地方 | |||
| 十ヶ国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。 | |||
| も | 元伐 | もとぎり | 山中にある木を伐り倒すこと。 |
| も | 門尉 | もんのじょう | 官位 |
| や | 山目付 | やまめつけ | 現地にあって藩内林野の管理・育成の中枢に位置した職務。 |
| 享保十八年山奉行が設けられ、同時に山目付も設置され、郡内で割庄屋クラスのものが | |||
| 二、三人任命された。その後、一時廃止されたが廃藩まで設けられていた。 | |||
| その職務は、藩有林の管理・育成、村内林野の管理の責任者である村役人・山番を | |||
| 監督して、御山守の目付役として郡中を巡り、山々を絶えず見廻るべきとされた。 | |||
| り | 律令国家 | りつりょうこっか | 中国唐代の制度にならった政治体制。律は刑法、令は行政法・訴訟法など |
| に相当する律令を統治の基本法典とした国家。 | |||
| り | 流謫 | りゅうてき・るたく | 罪により、遠地へながされること。島流し。 |
| り | 龍文寺 | りゅうもんじ | 山口県周南市にあり。周防の龍文寺は守護大内氏の守護代で大内氏の重臣であ |
| った陶氏の菩提寺であり、永享元年(1429)に陶氏五代盛政によって建立されたもので | |||
| ある。廿日市の洞雲寺開祖は金岡用兼禅師でこの龍文寺の僧であった。陶晴賢はそ | |||
| の洞雲寺に眠る。何の因果か・・・・。 | |||
| ろ | 六波羅 | ろくはら | 京都の平氏政権の中心地 |
| わ | 鷲頭治部少輔 | わしずじぶしょう | 大内氏家臣、桜尾城の城督(天文十年1541~天文二十年1551) |
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