中国新聞 歴史関連記事 拾い読みコーナー

江戸前期の宮島新発見

大願寺の古絵図調査

広い商圏近畿・九州まで・ 伝承より早く井戸存在か


中国新聞 朝刊   2007/6/14付掲載


 廿日市市宮島町の大願寺が保存する厳島(宮島)の古絵図は、17世紀末の厳島神社門前町を克明に記録する情報の宝庫だったことが、広島大と県立広島大の共同調査で分かった。当時の宮島の商圏が近畿・九州までカバーしていたことや、井戸が伝承より100年早く島に存在した可能性などを示す。「江戸前期の宮島の実像に迫る一級史料」として本格研究に入る。
 世界遺産・厳島神社の西隣にある大願寺に伝わる絵図は、全島を描く縦2.56b、横5.46b。宮島の総合研究を続ける両大学の研究者や学生が、寺の協力を得て四月に初めて閲覧した。広島大大学院文学研究科の本多博之准教授らの分析で元禄時代の一六九〇年前後の成立と推定した。
 門前町は約七百棟か゜描かれ、現在の「町屋通り」がにぎわいの中心だった。町屋は黄色、寺院をオレンジ色など建物の種類で色分けし、戸別地図のように一軒ずつ名称や屋号を表示していた。
 出身地や取引関係を示す地名入り屋号は四十二軒。「長崎屋」「大坂(大阪)屋」など遠隔地があり、商圏の広さを裏付ける。商品名を屋号にした家もあり、生活物資から高級品まで幅広く扱っていたことを示す。
 井戸については、新事実が判明した。宮島の恩人だといわれている僧・誓真が絵図から百年後の十八世紀末ごろ、水不足解消のため、井戸を十ヵ所掘った逸話が伝わっていた。ところが、絵図は井戸七ヶ所を既に記載。うち二ヶ所は現存する誓真の井戸の位置と一致する。つまり誓真は掘るだけではなく、既存の井戸を再掘削した可能性も浮上するという。
 絵図はこれまで、県史などで簡単に紹介されていたが、詳細な分析はなかった。県立広島大などが今月初めに広島市内で開いたシンポジウムで中間報告した本多准教授は「江戸時代の宮島は分からないことが多い。同時期の文献と比較するなど研究を続けたい」と意気込んでいる。


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