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| ■ 2008.7.24(木) 廿日市の住宅内で「とんぼ--名称不詳」を初めて見る。 |
| ■ 2008.7.16(水) 広島地方梅雨明け 平年より4日早く、昨年より7日早い |
| ■ 2008.7.12(土) 御前7時 今夏初蝉の声 聞こえる |
| ■ 2008.6.11(水) 広島地方梅雨入り 平年より5日遅く、昨年より3日早い |
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| 厳島合戦のあった宮島 厳島神社 大鳥居 |
陶晴賢の宝筐印塔 洞雲寺 |
明和八年(1771) 八月 (第十代徳川家治の時代) 厳島の中之町住人井口屋善助・徳右衛門が旅行のとき廿日市蓮教寺から受けた往来手形。 |
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| 今後の研究課題 -桜尾城・厳島・Etcに関する疑問- | |
| ① | 天文十年(1541年4月5日)友田興藤が桜尾城に火をつけ自決し、大内義隆により亡びた(藤原神主家の滅亡)その後の焼失した桜尾城の再建の様子がまったくわからない。大内氏、陶氏、毛利氏と歴代城番を置いたり、本陣としたりしているので、重要な拠点であった事は明白である。天正十五年(1587年)には九州征伐に向かう途中、あの豊臣秀吉が桜尾城に着陣しているので、城としての機能はあったはずで焼失後再建された事は間違いない。 |
| ② | なぜか桜尾城郭に関する絵図などは廿日市に見当たらない |
| ③ | 廿日市のシンボル 桜尾城について |
| ④ | 厳島合戦考 -陶晴賢のターニングポイント- 勝つ策はなかったのか? |
| ⑤ | 古代から近世の廿日市の概略 |
| ⑥ | 厳島に庶民が住み始めたのはいつごろか |
| ⑦ | 厳島神社祭神 市杵嶋姫命について |
| ⑧ | 廿日市に酢の製造はなかったのか |
| ⑨ | 三島村上水軍 |
| ⑩ | 廿日市の町屋、検地、宿駅 |
| ⑪ | 廿日市Archiveの作成 -往時を偲び記録に留める- |
| (下見会長) 津和野紀行 |
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