宮島鉄道連絡船 宮島航路


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世界遺産の宮島と対岸宮島口をフェリーで結ぶ国内唯一のJR西運営の船舶・航路
でもある宮島航路は、現在、松大(広島電鉄系列)との2社で運航されており、
年間7桁の人員輸送と車両航送を担っており、橋のない地元宮島町民の本州側への
生活に密着した重要な移動路でもある。

宮島航路 宮島口駅 - 宮島駅(明治36年(1903年) 開業- )

民間の航路が山陽鉄道に買収され、鉄道国有法による同社の国有化で
国鉄所有になったものであり、JR西日本の手で運航されている。


2009/2/3追記
ー2009年2月2日(火) 船舶事業運営子会社 「JR西日本宮島フェリー」設立されるー
廿日市市宮島口と対岸の宮島をつなぐ宮島連絡船の船舶事業をJR西日本は運営子会社
を設立し、4月から営業を開始するという。


明治30年(1897) 広島市在住の個人が経営する渡船として発足
明治32年(1899) 地元有志が出資した会社に移管
明治36年(1903) 3月 山陽鉄道が航路を買収、鉄道連絡船となる
明治39年(1906) 山陽鉄道の国有化に伴い官設鉄道・国鉄に移管
昭和62年(1987) 4月1日 国鉄分割民営化に伴い西日本旅客鉄道に移管
平成18年(2006) 5月23日 「みやじま丸」が就航 (日本で最初の小型電気推進旅客フェリーであり、船の形状は「両頭双胴船」である)。                -Wikipediaより-


厳島町より各駅に至る汽車賃(通行税加算)距離 (明治期)
駅 名 汽 車 賃
壱 等 弐 等 参 等
新橋 13円63 8円15 5円32
横浜 13円35 7円98 5円21
大坂 7円23 4円31 2円76
神戸 6円83 4円07 2円60
姫路 5円88 3円51 2円25
岡山 4円50 2円68 1円70
福山 3円23 1円94 1円26
西条 1円48 0円91 0円61
広島 0円68 0円43 0円29
己斐 0円53 0円34 0円23
五日市 0円35 0円23 0円16
廿日市 0円28 0円19 0円13
宮島 (厳島町より連絡汽船賃) 0円07
玖波 0円35 0円23 0円16
岩国 0円63 0円40 0円27
柳井津 1円45 0円89 0円60
徳山 2円48 1円49 0円96
小郡 3円38 2円03 1円32
下関 4円80 2円86 1円82
博多 6円18 3円72 2円39

来島者の数

明治四十二年(1909)末の調査

宮島汽車駅連絡船にて来たりたるもの 十六萬三千八百七十五人、
汽船にて来たりたるもの 二萬千八百八十人、
和船にて来たりたるもの 十三萬二千四十五人、
外国人の来島せしもの 一千四百三十九人にして
合計三十一萬九千二百三十九人なれば、一日平均八百七十四人なりとす。

但し和船の多数者は「管絃祭・延年祭・年越祭」の三日に来たるものなり。
   −厳島誌 P15〜16-



2009/2/3追記

宮島への来島者数(1964年統計開始)
94年  300万人
97年  311万人
01年  241万人
07年  307万人
08年  343万人



i厳島神社の参拝客(1987年統計開始)
08年  191万人



外国人観光客(1995年統計開始)
08年  13万人



その後時代は下がり
(hikogの記憶)
宮島−宮島口 (宮島町より連絡船 昭和26年頃 小人船賃) 片道 5円

  運賃今昔   宮島航路運賃変遷 (大人片道運賃)
昭和37年(1962) 4.1改定 宮島口―宮 島 30円
昭和41年(1966) 3.5改定     仝 40円
昭和44年(1969) 5.10改定     仝 50円
昭和49年(1974) 10.1改定     仝 60円
昭和51年(1976) 11.6改定     仝 100円
昭和53年(1978) 7.8改定     仝 120円
昭和54年(1979) 5.20改定     仝 120円
昭和55年(1980) 4.20改定     仝 120円
昭和56年(1981) 4.20改定     仝 140円
昭和57年(1982) 4.20改定     仝 140円
昭和59年(1984) 4.20改定     仝 140円
昭和60年(1985) 4.20改定     仝 160円
昭和61年(1986) 9.1改定     仝 160円
平成元年(1989) 4.1改定     仝 170円
平成9年(1997) 4.1改定     仝 170円

平成20年(2008)5月現在の宮島−宮島口間の運賃
大人片道 170円 (昭和44・5・9に比し3.4倍)
小人片道 80円 (昭和26年頃に比し16倍)
参考Web
http://homepage2.nifty.com/ichigo-keijiban/sub42.html


厳島町より各港に至る汽船賃(通行税加算)距離 (明治期)
港 名 汽 船 賃
壱 等 弐 等 参 等
毎日午前6時 厳島出港
大坂 5円55 3円30 1円67
神戸 5円30 3円15 1円59
鞆津 2円60 1円55 0円78
竹原 1円80 1円08 0円57
0円93 0円56 0円29
宇品 0円60 0円36 0円21

毎日午後5時 厳島出港
岩国 0円55 0円33 0円21
柳井津 1円10 0円66 0円35
下松 1円85 1円10 0円54

偶数日午後9時 厳島港出港
大分 3円60 2円15 1円37
別府 3円60 2円15 1円37

昭和30年頃、宮島町立小学校の修学旅行は、今はなき「商船桟橋」より、
夜、親などが子供としてはじめて旅立たせる不安の中、見送り、子供たち
は、希望に満ち溢れ、しかし、ちょっとの不安を胸に抱きつつも 未来の夢 
別府・阿蘇・熊本へと九州の旅に向って揚々と旅立って行ったのである。


広島電鉄と連絡船

(明治43年)6月に広島電鉄の前身になる広島電気軌道が設立された。広島駅前から紙屋町を経由し
て御幸橋に至る区間と、現在の白島線になる八丁堀から白島に至る区間で開業した。
(大正6年)8月に広島瓦斯(現在の広島ガス)と合併、広島瓦斯電軌になった
1922年(大正11年)8月に宮島線の一部になる己斐町から草津町間が開通。
1924年(大正13年)4月に草津町から廿日市町間が延長。
1925年(大正14年)7月に廿日市町から地御前間が開通。同時に、宮島に向かう連絡船が開業した。[注]
1926年(大正15年)7月に地御前から新宮島間が開通。連絡船に接続した。
1931年(昭和6年)2月に新宮島から宮島口間が開業。己斐・宮島口間の宮島線は全線開通した。
(昭和17年)4月に、当時の国の政策により広島瓦斯電軌の交通事業部門が分離して広島電鉄となった。
1957年(昭和32年)宮島松大観光船有限会社設立
2004年6月に株式会社組織に改組と同時に現在の社名宮島松大汽船株式会社(みやじままつだいきせん)に変更された。現在広電が大株主である。
◆[注] 新宮島連絡船  広島電鉄前身 広島瓦斯電軌渇^営
  昭和六年広電宮島線が全線開通するまでは、厳島へ参詣するには、地御前
から発着していた。連絡船の発着場・新宮島桟橋は現在の国道2号と西広島バイ
パスの高架が合流するあたりにあった。広電は大正十四年に地御前までしか開通
しておらず、宮島へ渡る客は地御前で下車し、徒歩か、新宮島桟橋まで一キロ余を
自動車九銭で行き、そこから宮島へ渡っていた。
第一・第二・第三宮島丸が四十分間隔で発着し宮島間拾五銭であった(大正拾五年
米は一升三十五銭)。昭和六年広電宮島線開通に伴い、連絡船は廃止され、昭和
四十八年に西広島バイパスの建設により、火立岩(ほたていわ・・・毛利元就が厳
島合戦で出立した地点とされる) とともにその姿を消してしまう。


<開通当時の料金>
己斐ー地御前  27銭
廿日市-地御前  9銭
地御前−新宮島桟橋  自動車で9銭  但し徒歩は無料なり
新宮島−宮島  船賃 15銭
参考文献  昭和55年発行 『ふるさとの写真集」 編集廿日市町教育委員会より抜粋・加工
上記新宮島連絡船の写真 廿日市町史 通史編(下) P293より引用


参考文献: 「厳島誌」 重田定一著  金港堂書籍 明治四十三年六月二十八日発行
参考Web:  [宮島連絡船」  『フリー百貨事典 ウイキペディア(Wikipedia) 日本語版』 
       取得 2008年5月23日(金)   最終更新 2008年1月11日 (金) 14:40。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B3%B6%E9%80%A3%E7%B5%A1%E8%88%B9

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