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トップ 特集1江戸の文化いろいろ江戸しぐさ


江戸しぐさ

現代のマナーに通じるも、
本来の精神は江戸っ子の生き方を説いたものという

2008/2/13

江戸は、「江所」という江・・・入江に臨むところ という。
徳川家康が初代将軍となった慶長八年(1603)から小さな漁村に過ぎなかった江戸の町づくりは始まった。
駿河台から大手町辺りまでつづく神田山を崩し、その土砂を日比谷入江に埋め立て、市街地を造成した。
江戸後期、第十一代将軍徳川家斉(いえなり)の頃、文化六年(1809)、江戸の町は人口百万といわれる
大都市に発展し、独自の江戸文化が栄えた。
東京駅の西側に大名小路という武家屋敷があり、永田町・番町・麹町・赤坂・青山・四谷・市谷・小石川・
本郷・御徒町も大方は武家地であった。大名・旗本・御家人は登城に便利なように江戸城周辺に住み、
戦の布陣を形成していた。
では町人が住む町人地はどこかというと、江戸城の東側、最初に町づくりが始まった日本橋を中心とした
京橋・新橋・神田に集中された。江戸初期、天下普請の際に日本橋の北側に上方から招かれた商人が
住み、神田には三河・遠江・駿河から招かれた職人と材料問屋の職人町ができた。紺屋町・鍛冶町・大
工町・鋳物師の鍋町など職種のわかる町名であった。

「江戸しぐさ語りべ」の越川禮子氏によれば、諸国から文化背景の異なる人たちが行き交う町で、争い
のない平和な暮らしを築き、繁栄していくために考えられた心構えが『江戸しぐさ』であるという。
当時は、『商人しぐさ』『繁盛しぐさ』と呼ばれていた「江戸しぐさ」は、江戸期の商人の生活哲学であり
商人道だったという。

ところで「江戸しぐさ」なる言葉は、2008/2/9 朝日新聞「be on Saturday」の「和でリフレッシュ」で知った。
「傘かしげ」・・・・・雨の日狭い通りで人とすれ違うとき、傘を外側にそっと倒して、お互いにぶつかったり、
体がぬれないようにする。そういえば、数十年前中央区東日本橋に通勤していた頃、この所作は自然に
していたことを思い出した。

「江戸しぐさ」関連Web 「江戸の賢者の知恵」紹介


江戸一目図屏風(えどひとめずびょうぶ)・・・岡山県指定重要文化財(津山郷土博物館蔵 常設展示コーナー)




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