廿日市湊・北前船 2


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ー廿日市地元の出入りー


廿日市湊に北前船の廿七反帆(1200石積み)の千石船・加賀国の金剛丸
の入港が明治にあったことを触れましたが、この千石船は他国の船でした。

明治以前、地元の廿日市には千石船はなかったのか調べてみると、なんと
廿日市にも一艘あったのです。

廿日市の問屋商人千同屋の「千同屋同性過去帖」によれば、
千同屋浅五郎は文化・文政の年(1804〜1829)店繁昌し、船が好きで倉橋島
和多屋平左衛門より千石積み「福重丸」買受「北国」へ通わせ、五百石積み
「天神丸」は同所倉屋定五郎より買受九州へ通わせ、小船胡子丸は大坂
(当時は大阪とは書かない)へ通わせていたとあります。

前に触れましたが、千石船は150トンです。
ちなみに現在の宮島航路の松大汽船は約200トンです。
江戸時代に、廿日市湊に松大船の大きさに近い船が出入りしていたわけです。

これらから、千石船も行き交っていた、わがふるさと廿日市は、いかに交易が
盛んであったかを物語っています。

しかし廿日市湊は、北前船の瀬戸内海の基幹航路ではなかったことが最大の
要因で、北前船の日本の歴史には、廿日市湊は取り上げられておらず、今回
以前から資料収集していた「北前船と芸州廿日市湊」 佐伯録一氏著を改めて
調べて、先に触れたことが判明したのです。


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