廿日市にもあった西国街道松


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 その時代、時代に生きてきた人々が思いをはせてきたであろう、歴史ある一つの道、
西国街道が広島市の南西部に位置する廿日市(広島県廿日市市)に、今も残っています。
 廿日市市は海と山に囲まれた自然豊かな街です。
古代の道、山陽道は古代より京都と九州の大宰府を結ぶ重要な幹線道でしたが、江戸時代、
京都から江戸に都が移り、江戸を中心とした五街道に次ぐ脇街道としては、その重要性は変
わらず、寛永10年(1633年)参勤交代制度の確立とともに西国大名、長崎奉行、幕府の要人
の往来する旧山陽道として、整備されました。広島藩は旧山陽道を西国街道と称しました。
五街道とは、東海道・中仙道・日光街道・奥州街道・甲州街道です。現在でも関東ではこの呼称
は使われています。(実は私は以前、日光街道沿いの埼玉県越谷市に10年住んでいました。)
街道の整備は、宿駅(宿場)を設置、道幅2間半(4.5b)とし、1里(4`)ごとに街道の両側に土を盛り、
えのきなどを植えて、距離を示す目印とした1里塚を設けた。江戸幕府により全国に設置された。
廿日市では、1里ごとに1里塚松があり、街道の両側に3間(5b強)ごとに街道松が植えられていま
したが、現在では1本だけが残っています。

北側に位置する街道松は日をさえぎらないので用無しとしたとかしないとか
唯一現存の廿日市市大東の街道松も南側にあり。


往時の西国街道沿い街道松数本 現存する唯一の街道松(南側)
街道松 説明板語句訂正 案内

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文化2年(1819年)とある文化は
「文政」の間違い。

文化2年は1805年。

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