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竹中健助


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竹中健助氏之碑



碑文
竹中健助氏は安政三年十二月十二日、佐伯郡廿日市百六十番屋敷、旧平良郷の名主の長男として生を受け、
山陽道玖波駅住、農兵組頭柳澤喜三右衛門義幸の娘婿となり、一男二女を儲け家督を相続す。
爾来(じらい)、廿日市海岸は台風の来襲毎に住民が多くの損害を受け、殊に榎之窪付近は甚だしかった。彼は住
民の先頭に立ち自らもその私財及び一身を擲(なげう)ち廿日市の海岸の堤防を築造し、海難防備に多大の貢献
をして廿日市町民の幸福をもたらしたが惜しむらくは三十九歳の若くして病死せり(享年明治廿八年七月廿九日)。
当時の町民はその遺徳を讃え宮内の山奥より巨石を運び出し、明治丗九年四月廿日、廿日市下平良の壱の
一三一六の地へ石碑を建立し永く尊崇の誠を捧げた。今回庁舎、文化センター建設工事あり、その都合により
現在地へ移設す。

ほとんどの市民に知られていない竹中健助である。
以前は現在の庁舎前二号線の角に建立されていたが、区画整理で
竹中健助氏之碑は廿日市市庁舎駐車場の東南角に移設されている。
尚、碑文の健はにんべんがぎょうにんべになっている。


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