江戸の食文化


トップ 特集1江戸の文化いろいろ江戸の食文化4


 我が国の料理の変遷は大まかに以下のようであろう。
律令時代
     大饗
鎌倉時代
     大饗、精進料理
南北朝から室町時代
     式正料理(本膳料理のもと)
室町から安土桃山時代
     本膳、精進、茶会席料理
江戸時代
     本膳と会席の融合

 文化文政のころ(1804〜1829年)確立されたと云う江戸料理は、今で云う地産地消で、地物の材料を使い
江戸独自に発展して行ったと云う。
慶長八年(1603)、徳川家康が江戸に幕府を開いてから、参勤交代で各地の大名が、江戸屋敷を構えるよう
になってから、地元から持ち込んできた野菜を藩邸内で栽培し、それらの種が江戸市中に出回り、江戸で新
しい品種が生まれるようになってくるのである。
現在有名な練馬大根は、尾張の宮重大根がルーツであると云う。

江戸料理の特徴

それは、魚であると云う。
江戸っ子は松葉の爽快な味が好みであったらしい。旬の初物特に、初鰹は好まれたようである。現在のよう
に、保冷輸送の手段ない時代のこと故、鮮度が命であった。
有名な逸話に、ある日十七本の初鰹が江戸に入ってきたとき、将軍家が八本、山谷の八百善が三本、残りが
魚問屋、其のうちの一本を有名な歌舞伎役者が三両(約20万円)で買い求め、弟子たちに食させたと云う。
いくらきっぷがよく、見栄っ張りな江戸っ子庶民としても、20万円はちと高過ぎはしないだろうか。
庶民の口に入るようになったのは、もちろん時代がもっと下がった頃になるのである。

江戸湾内で取れる白身魚、所謂江戸前の魚、鯛・平目・海老などは生簀(いけす)で養殖されていたと云う。
高級料理店からの大量注文に対応し、活き魚を届けていたようである。
大雑把には、江戸は武士と職人の町であり、関西は公家・商人の町であると云える。
体をよく動かす人と、そうでない人の味の好みは当然分かれる。体をよく動かす江戸では味が濃くなっている
のも、うなずける。

その濃い味は三河文化の豆味噌にあると云う。
家康が江戸に入ってきたとき、持って来た味噌が味の濃さのルーツになっていると云う。
武士といえども、その出身は農民が多く、また、地方から移入してきた庶民もその味好みは、濃い味であり、
それが定着してきたのではないかと考えられる。
幕府開府当時の江戸は、一漁村であり、家康が町づくりを始めて地方から労働力を動員してきたいきさつが
あり、男の人口の方が多く、独り者があふれていたと云う。そんな若者が薄味で満足するはずもないのである。


戻る  Top   次へ