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清盛神社 (きよもりじんじゃ

久安二年( 1146)安芸守に任ぜられた平清盛(別名平相国)は、その在任期間中に厳島神

社の隆盛に寄与し、よって今の宮島があります。

清盛死後七百七十年にあたり清盛神社建立

古来、尊敬する人物は、その霊を慰めるため、神社を建て、お祀まつりしていたと云われて

います。宮島と縁浅からぬ清盛に対する島民の思いは、強いものがあり、現在、西松原に鎮

座する清盛神社は、昭和二十七年清盛死後七百七十年にあたり、それを期し、清盛の恩に報

いるため、また清盛はどこにも祀られていないということで一層機運が盛り上がる中、発願

に至り、ようやく昭和二十九年三月二十日に新しく社が建立され、御神体もそのとき移され

たのです。

清盛の霊を祀っていた神社 三翁神社(さんのうじんじゃ)

それまで恩ある清盛の霊を祀っていた神社は、元々島内のどこに鎮座されていたのか。

それは大宮の後背の東の地、現在の三翁神社「さんのうしゃ」に祀まつられていた(右殿・

向かって左に祀られていた(宮島本44頁)。


その「三翁神社」は、平安時代、平清盛が比叡山の日枝神社から勧進したものと伝えられて

おり、伊都岐島千僧供養日記では「比叡社の檀」とにある。また新出厳島文書一〇三「伊都
岐島社神官等申状案」には仁治二年(1241 )「山王社一宇一間二面」また「山王拝殿一宇、

五間二面桧皮葺、同釘貫三十二間、鳥居一基」と記されている。

天正十九年(一五九一)再建(広島県神社誌三四二頁)。


古くは「山王社」と称していたが、その後、明治の神仏分離令以来「三翁神社」と名を変え

破壊をまぬがれた。

明治43年、宮島浜之町の水天宮神社を合祀し、安徳天皇、二位尼、大綿津見命を祭神に加え

た。

三翁神社御祭神

左殿(向かって右)    大己貴神(おおなむちのかみ)・ 猿田彦神(さるたひこのかみ)

中殿        大綿津見神(おおわたつみのかみ)安徳(あんとく)天皇(てんのう)佐伯鞍職(さえきくのくらもと)二位(にいの)(あま)所翁(ところのおきな)岩木翁(いわきのおきな) 

右殿(向かって左)  御子内侍(みこないし)徳寿(とくじゅ)内侍竹林内侍(たかばやしないし)



三翁神社 さんのうじんじ

   
清盛神社


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