トップ 特集1江戸の文化いろいろ江戸時代の変態仮名 子供たちが習った変体仮名


子供たちが習った変体仮名とは

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  江戸時代は「文書主義の時代」との言い方があるほど、幕府からのおふれやちょっとした契約ごと商売の
やりとりなど、すべてにおいて書類(文字)をとおしてやりとりがされており、文字の習得は庶民にとっても重要な
ことであったという。
 寺小屋では、文字教育が中心で、習字を通して読み書きを教え、文字により、いろは・数字・名頭(人名)・地名・
国名・証文・用文章・諸往来・法規・漢籍等の知識を繰り返し、音読し基本の文字の読み書きを修得させたという。
現在のいろは
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ  つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし 
ゑひもせすん
(色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず)
 現在の平仮名は1音に1字のみで、当時のいろはは漢字なのか平仮名なのか判別に苦しむような独特の
かなで、この変体仮名の場合は元の漢字(字母)が複数あるため、覚えるのに少々骨が折れるのである。
かなが読めるようになることが、江戸時代の本を読み解くポイントとなるのである。

 かなといえば、以前、小倉百人一首の講演を聞く機会があったときはよく理解できなかった。提供された資料
から変体仮名について、今回一字一句じっくりと見て、解読に再挑戦してみることにした。

陽成院 ようぜいいん (貞観十年〜天暦三年 868-949)
清和天皇、藤原高子の皇子で、第57代天皇として即位するも、病による乱行で17歳で退位する。
以後六十数年を上皇としてその生涯を送る。
上記の資料により
字母は「みね」は峰、「みなのかわ」のみなは美奈、「なりぬる」のなは奈とした。
解読した表は ここ クリック。(PDFファイル)
筑波峰は常陸国(茨城県)ある男体・女体が重なってひとつの山となっている。
みなの川は筑波山に発し、桜川に注ぐ川。
陽成院が釣殿のみことといわれた、光孝天皇皇女すいしに贈った歌。

  その筑波の峰から流れ出るわずかな雫が、次第に水かさを増し、やがてひと筋の川、
  男女(みな)の川となるように、わたしの恋心も、積もり積もって深い淵のようになったのです。

恋心の深さを巧みに詠んでいるとの講師の話ではあった

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