トップ 特集1江戸の文化いろいろ吉原と川柳15


江戸一の大歓楽街  -吉原と川柳-
その拾伍
     待乳山今では猪牙の目あてなり
 待乳山は眞土山とも云ひ、金龍山本龍院と称して、聖天宮を安置せしところで、この山の森は
本所深川辺が未だ海であった頃、其方面から津入りする船の目標となったものである。
但し、今は吉原へ通ふ猪牙船の目あてになったと、時代の変遷を匂はした句である。
     ◇待乳山(まっちゃま)・・・浅草にある、隅田川に臨み、上野の台地に続く小高い丘。
また、この門に名前は、物として米饅頭(よねまんじゅう)を鬻(ひさ)ぐ・・・商う・・・店があったと
伝えられている。
     聖天は船と駕との相の山
待乳山は、隅田川の右岸に存在するが故に、吉原への陸と水路の丁度中間にはさまれている
のであった。 聖天とは、天竺の神、大聖歓喜天の略称だと云われている。
     三圍でひぐらしの鳴く好い時分
三圍稲荷(みめぐりいなり)は、隅田堤小梅村の田の中に在って、田中の稲荷とも云った。
別当三圍山眞珠院延命寺と号して、弘法大師が神像を刻み、大師が勧請されたもので、
彼の江戸座の俳人・其角が雨乞いの句を詠んだ有名な稲荷である。
向島へ郊外散策に行った戻りがけでもあろうが、川の面を紅に染めなす夕陽が、やがて
聖天の森にかくれて、今戸あたりの瓦焼く烟(けむ)りが薄紫にたなびく頃、どこかに慌ただ
しい茅蜩(ひぐらし)が鳴き初め、丁度、吉原へ行くには、いゝ時分だと云ふ意である。
     なにゝせへ向ふへ越せと隅田川
     白鬚の邊から持病再発し
     いゝ年で然らばと云ふ隅田川
四季のをり々、この向島へ遊ぶものは、場所が廓に近い為め、自然と歓楽境へ吸はるゝが
如く、流れ込むのであった。



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