トップ 特集1江戸の文化いろいろ吉原と川柳14


江戸一の大歓楽街  -吉原と川柳-
その拾肆
     葬禮の戻りに不埒至極なり
     吉原へ廻らぬものは施主ばかり
     其数珠は仕舞ってくれと土手で云ひ
 山谷界隈には一帯に寺院が多く、葬禮の戻りに不埒(ふらち)にも、若い連中が生きた菩薩
済度(さいど)をうけに廻り道をするのであった。
    ◇済度(さいど)・・・・衆生(しゆじよう)を苦海から救い、彼岸へ導くこと。
     これで汚れが浄まると大一座  これでけがれがきよまるとおおいちざ
     焼香の順にと笑ふ大一座
     大一座今日の佛とくちばしり
葬禮くづれの大一座は、落語の題材となるべき、頗(すこぶ)る滑稽なものであった。
    ◇大一座(おおいちざ)・・・・特に、遊里や料亭などで、一団となってくり込んだ多人数
      の遊客。
     大一座黒豆のある反吐をつき
往昔(むかし)、葬禮には黒豆入りの白い強飯(こわめし)と煮〆を会葬者に出すのが例であったが、
六十歳以上の人が死んだ場合には、長命をして芽出度いと云ふ意味で、普通の赤飯を出したと
云ふ。
     大一座焼場の分も二人揚げ
焼場へ廻った者も共に遊ぶ約束になっていて、先へ行ったものが、それらの人の敵娼(あいかた)
を揚げて置くと云ふ意である。


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