極楽寺 千手観音大祭(御開帳)


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4月第3日曜日

広島県廿日市市原2180 0829-39-0008

御本尊 十一面千手観音菩薩坐像のある本堂

寺伝によると、天平九年に行基 (ぎょうき668〜749 仏教のうえだけでなく、橋や道路、池や堀などの灌漑(かんがい)施設の建設、修理を行うなど社会事業の面でも大きな業績を残したが、その活動が僧尼令に反するとして弾圧された。やがて聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺の造営に尽力し、大僧正に任ぜられ、また大菩薩の号を賜り、生きながら菩薩とよばれた奈良時代の僧。)が大仏殿勘進諸国回行の砌みぎり 「当国二至リ厳島二渡リ玉フ時、当山ノ方ヨリ光明ヲ放チ遥カニ沖ノ海上ヲ照ス(中略)此二古キ社頭アリテソノ傍ラニ有リケル杉大樹ヨリ<今此里ヲ地名大杉トイフ>光明赫赫かっかく トシテ照ス(中略)之ヲ御素木トナシテ始ノ木ヲ以テ四十八躰ノ弥陀仏ヲ作玉フ、次二坐像八尺四十臂ひじ ノ本尊千手観音ヲ彫刻シ玉フナリ、亦次二薬師ノ像ヲ造リ玉フ<穂井田ノ薬師尊也>、ソノ余木ヲ以諸仏菩薩ノ形像ヲ作リ玉フナリ」とある。

極楽寺について詳細は
こちら

春の祭り
4月第3日曜日 御本尊・千手観音の縁日法要で護摩祈願が行われ、当日御本尊の御開帳がある。

老若男女、麓からおよそ2時間かけて登ってくる。
本来は徒歩で登ってきて家内安全などを祈願すべきであろうが車でくる人。人いろいろ。

この日は、4月第3日曜日平成20年(2008年)4月20日の御開帳に合わせて、平良から登山して参加する企画(100人)があったが、まだ到着していないので参詣者で境内は、さほどごった返していない。我ら到着1時間後に一次隊到着。その後1時間して最後発の三次隊が到着。

車で速谷神社を左に見ながら北上、原から極楽寺山頂を目指している途中で、徒歩で頂上を目指していた少年野球の一団30人位を抜いた。
これらの写真を撮ったりしていると、やがて例の少年野球の一団が到着した。およそ30、40分で登ってきた。原ルートは距離は短いが登山路は数ある中で傾斜は1番きついというのにである。
毎日極楽寺山登山をするグループがあるとか。
後期高齢者とは名ばかり健脚な男女がなんと多いことか。urayamashi .....!
平成20年(2008年)4月20日の御開帳の日

御開帳された「十一面千手観音菩薩坐像」

堂内薄暗くてフラッシュをたいて撮影。左右に扉があり
肝心な千手は見えず。


在りし日の「十一面千手観音菩薩坐像」は
こちら
 宝珠露盤ほうじゅろばん 
 
屋根は、慶長四年(1599)宍戸備前守元次が大檀那として修理していることが露盤 (宝珠を受け方形屋根の頂部をおさえる方形の台) に銘が刻んであることからわかる。

下の画像 2行目に「守元次公」とある。
多島美を楽しめる極楽寺山上部からの眺望看板


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