廿日市の特産品 其の歴史 -1-


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けん玉発祥の地 廿日市市
 けん玉が日本に伝わったのは、安永6年(1777)フランス貴族の遊びであった「ビルボケ」というものという。
江戸時代「廿日市轆轤(ろくろ)」の名で呼ばれた傘用轆轤および「廿日市十露盤(そろばん)」を生み出し
た轆轤技術を受け継いだものである。

大正10(1921)年、呉市出身で大阪心斎橋のテキヤ顔役、江草濱次氏が明治期のけん玉(玉と棒だけ)を改
良し、 廿日市の「本郷木工」に大金を積み、「日月ボール」として制作依頼したのがはじまりという。
当時の材質は、ちなり、けやき、さくら、ぶな等、直径が10pほどの間伐材を大槌で叩いて型抜きをし、轆
轤も足踏みであったが、大正13年頃、動力が導入され、生産が増大していったという。
十字型の縦の棒はその一方が剣状にとがっており、その反対側は皿状に、また、横棒の左右の端は、大
小の皿状に分かれ、十字の交差部と、一ケ所穴を開けた円状の玉とを糸でつないだものである。
 けん玉の遊び方は、玉の穴にとがった先を入れる、3ヶ所の皿に玉をのせる。其の動作の順番を変える、
ことで、ゲームが成り立つのである。
持ち方は、十字の中央部を親指と他の指ではさむようにし、膝をうまく屈伸させながら、玉の落下後の捕
球の衝撃を落下スピードにあわせ、けん玉本体をすーと下に動かせながら、吸収するのが、コツであろうか。
子供の頃は、糸をはずして何回続けられるか、競争したものである。
歴史的には、山代地方から伝来してきたであろう、轆轤(ろくろ)の技術があったればこその、ひとつの
伝統工芸とでもいえるのではないだろうか。



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