トップ 特集1 江戸の文化いろいろ吉原と川柳3


江戸一の大歓楽街  -吉原と川柳-
その参
 柳橋、聖天下、山谷堀等には、軒を並べて船宿があった。この船宿は、吉原へ通う遊客を送迎する
水路の交通機関であると同時に、また、一種の貸席を業としたものである。
船宿の奥座敷へ、柳橋や堀の阿嬌(あきょう)・・・(美人・芸者) を侍らせて、浅酌低唱、耳熱する頃吉原へ
送り込まれると云う、あたかも今日の待合なるものに酷似し、吉原と連絡する中宿と称するものであった。
ただし、この遊船宿は、かならずしも遊里の客を専門に取扱ったものではなく、時には、月・雪・花見・
汐干・納涼というような普通一般の遊船もやり、なかなか繁昌したものであるという。
     船宿へうちの律儀を脱いで置き     
日本橋あたりの大店(おおだな) の若旦那とか、番頭などが、秘密裡に吉原へ通うとき、それぞれ渋い
拵(こしら)への外出着(そとでぎ)を、馴染みの船宿へ預けて置いて、木綿のものと着替えて店から出か
るというのである。
     中宿の子は化けるのをじろじろと見
     船宿の女房深みへツイと突き
     柳橋川へ布団をほうり込み
この船宿は、灯ともし頃から忙しくなるもので、次から次へ客を送る船宿の女房が、愛嬌を振りまきながら
御機嫌ようと、船の舳(へさき)へ手をかけて、グイと川へ突き出す情景は絵の如く華やかなものであった。
布団を川へ放り込むとは、無論船の中へ投げ込むので、如何にも忙(せわ)しそうな場面を想像することが
出来る。


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