江戸一の大歓楽街 -吉原と川柳- |
その肆
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ところで、新吉原は浅草 浅草寺(せんそうじ)裏のたんぼの中にできたのである。江戸中心部から離れていた |
故、徒歩では少々時間がかかるし、財有る武士・大店の主人・若旦那などは、当然、籠・猪牙船(ちょきぶね)で |
通うのである。柳橋から隅田川を上り、山谷堀まで来て日本堤を行った。 |
筏乗り猪牙の行衛を見失ひ |
柳橋切ってはなせば矢の如し |
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猪牙船(ちょきぶね)とは、船の形状が猪の牙に似ているというので、文字に書くには猪牙とこじつけたものである。 |
その当時の船としては、最高速力のものであった。 |
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帰る船山谷の河岸へ入れ歯をし |
ほのぼのと人丸堂を矢の如し |
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これは朝帰りの客を山谷の河岸へ着けるのである。 |
また、享楽の後の困憊(こんぱい)に正体なく居眠りをする姿の可笑しい船の人々を形容し、人丸堂が駒形にある |
ところから「ほのぼのと明石の浦の朝霧に」 の古歌に寄せて、明方を戻り行く船足の早き有様などを詠んだもの |
である。 |
中宿で届けこぢれて封を切り |
船宿の腰貼り見れば無心文 |
柳橋乗り出してから封を切り |
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遊女から馴染の客に送る無心状などは、多く此船宿を介して届けて貰ったものだが、宣伝ビラにも等しい文とて、 |
船宿でも特殊なものでない限りは、真っ当に宛名先へ届けることをせず、お手紙が来て居りました。 |
其の内お出でと存じましてお預かり申して置きましたと、馴染の客の来た時に手渡しするか、さもなくば、その言 |
い伝え忘れてしまうこともあった。名宛の客の足が遠く、いよ々来ないと見定めがつくと、どんな要件かと封を切っ |
て、なまめかしい天地紅の文を、一応読んで見るという。 |
船宿の腰貼りにするというのであるから、随分届けこぢれた文が多いのであった。 |
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ぶら病猪牙に乗せるは荒療治 |
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ぶら病は、ぶらぶら病のことで所謂気欝症、今で云う神経衰弱とも云うべく、家の中に閉じ籠もって、くよくよしている |
内気な極く世間見ずの息子を、親切な(かどうか?)友達が来て無理から気散(きさん)・・・(気晴らし)・・・じにと伴れ出さ |
れ吉原へ行くというのである。 |
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四書五経読んでしまふと息子死に |
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こんな息子でも困るが、さりとてまた、 |
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憐れむべし遂に息子の座敷牢 |
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の如き蕩皃(とうじ)・・・(身持ちのよくない者)・・・になり果てても困ったものである。 |
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役人の骨っぽいのは猪牙に乗せ |
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札差指しと云うような御用商人が、其の筋の役人を籠絡(ろうらく)する、所謂、御馳走攻略で、今も昔も変りのない |
世相の弱点を諷したものである。 |
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猪牙船(ちょきぶね) |