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江戸一の大歓楽街 -吉原と川柳- |
その陸 |
日本堤は、山谷より箕輪迄の堤防(どて)であって、初め荒川放水の為に築かれ、長さ十二三丁ほど |
あるが、俗に八丁土手と称せられている。然して、この土手の修繕費用は、廓内券番の絃代(いとだい) |
即ち芸者の花代より積み金をつくって、これに充当する定めであった。 |
吉原の土手は唐木で築きあげる |
唐木(からき)とは、紫檀棹(したんざお)やカリン胴のことで、即ち三味線のことを云うのである。 |
◇ 野暮なこと何處へお出でと土手で云ひ |
旦那を土手で見かけたと野暮な奴 |
土手で逢ひ今は何をか包むべき |
はて珍しい對面と土手で云ひ |
後から土手で見つけて眼をふさぎ |
道幅の狭い土手なるが故に、自然知人に出会うことが多いのである。 |
◇ 野暮なこと何處へお出でと土手で云ひ が江戸っ子の粋を如実に表しており、傑作である。 |