厳島合戦考


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陶晴賢が勝てなかったターニングポイントは何か

ー弐ー

厳島を中心とする完璧なる制海権の掌握のために 

−地御前に一大水軍基地の構築ー


<厳島と厳島社神領支配の要・桜尾城をセットした陶晴賢の対毛利元就安芸進攻防衛網作戦図案>


語句読み方一覧表


陶晴賢は、厳島・桜尾城の重要性を深く認識していたのは間違いない。
主君大内義隆との対立の中、謀反を起こし、天文二十年(1551)九月一日山口長門の大寧寺で義隆を倒
したが、その挙兵は富田若山城 (現周南市) を八月二十八日に出て山口に向かうのであるが、挙兵の前
に、ひと仕事している。それは八月二十日に臣下の大林を派遣し厳島を占拠し、城督の鷲頭興盛を説得
して桜尾城を明渡させているからである。厳島と廿日市(桜尾城)をセットとして捉え現に手中にしている。
陶晴賢の挙兵の可能性は100%あるという情報は、当然、元就は、読み込み済み思われ、陶晴賢の動向
を注視していたことに間違いない。この時点では、元就はまだ動いていない。陶晴賢もまたこのことは読み
込み済みで、佐西郡に進攻しないことからたやすく厳島と廿日市(桜尾城)をセットで手中にできたのである。
このたやすくセットで手中にしたことは、晴賢の脳裏に、元就に対し先手を打った意識があったかどうかが
この先重要なこととなるのである。
陶晴賢の生没は大永元年(1521)〜弘治元年(1555)である。このとき晴賢三十歳、元就は五十四歳である。

おおよそ十日後、文事にはしる主君大内義隆を排斥後、晴賢は義隆時代を踏襲と新しい支配策を行う。
踏襲策は天文二十一年六月廿日市洞雲寺領の代々を安堵。天文二十二年四月二十二日厳島社家三方
に対して、同じく年中祭料山里納銭を安堵。山里納銭、廿日市町の支配などの桜尾城の任務は、陶氏家
臣の江良賢宣と神領衆新里若狭守に引き継ぐ。
新しい支配策は検地の実施で、厳島社領と神領衆の給地も検地を実施している。
その支配策の中に注目すべき、将来を決するものがあった。
それは大内義隆打倒後、半年を経過するこの時期発布した、「陶晴賢厳島掟」である。

             掟  
      一.当島見せ屋敷事、当町人之外不可存知事
       一.諸廻舟着岸、舩留停止事
      一.對諸廻舩警固米、被申懸之儀無、謂事 
        御家来衆萬事左右、無道之取操、無謂事
      一.於嶋中、博奕停止之事
           七条まであり  以下省略
      天文二十一年二月二十八日                     奉   丹後守

1.島内住民以外が店、屋敷を持つことを禁ず
2.諸船の着岸、係留を禁ず
3.諸廻船から警固米の取り立て禁止
4.島内でばくち禁止
一条では、島人以外により店舗・屋敷を建てることを禁じ、島人の商業活動保護政策をとった。
       厳島を支配し、かつ保護をすれば島人の信頼を受けるという思惑がある。
のちに大きな問題になるのが、二と三条である。
二条では、諸廻舟の着岸(廻船を強制的に入港させる)、船留(出港を阻止する)を禁止。
       有の浦に出入りする船から航行の安全を保障する見返りとしての駄別料(通行料)を徴収する
       ことを禁止。
三条では、諸廻船 (国内沿岸の物資輸送に従事する荷船) に警固米を課すことを謂れ事
       (いわれごと・・・・・正当な理由がない)として禁止。
       有の浦への寄港船から徴収していた警固料を正当な理由がないとして禁止。

大内義隆時代には、村上隆重は厳島で西は堺、東は博多の商人たちから駄別料を取ることを認められ
ていた。
一般的には、この掟は社家の統制と厳島における商業を振興し、参詣を一層盛んにするため、島内で横
行していた利益の中間搾取を排除し、諸廻船や京、堺、博多の商人などに便宜を与えた触れ、といわれ

ている。

しかし晴賢の本当の狙いは、村上氏に払う寄港地での警固料免除と引き換えに、京、堺、博多の商人か
ら一括し「礼銭」を出させ、また経済で潤う厳島の経済権益を一人占めにすることだった。
七ヶ月前の大内義隆時代には、瀬戸内の海上警固で活躍できていたが、唐突な陶晴賢の方針転換に
は、さぞ不満であったろうことは、誰にも想像できることである。
晴賢にとって、誤算だったのは、三島村上氏らに仕掛けた経済制裁が後に、命取りになることであった。

一応、安芸経営の重要拠点である厳島と厳島社神領の中心である桜尾城を押さえたことはそれなりに評価
できるものである。しかし、晴賢にとってほかに懸念材料はなかったのであろうか。
まず対立関係にある津和野吉見正頼と、いわずもがないつ寝返りを打つか時間の問題であった毛利元就
対策であろう。優先順位は元就対策が先であるべきであった。
いずれは大大名を目論む老練な元就対策の有効な手段は、吉田郡山城から、佐西郡への進攻をいかに
防御するかである。晴賢と同じく安芸支配特に厳島神領の中心である桜尾城とセットで厳島の魅力的な経
済的権益を独占したい元就の強い願望を排除するためにも「掟」は領地支配が安定してからでもよかった
のではないか。大胆とは思うが次のような策は検討さえしなかったのであろうか。

晴賢にぜひやって貰いたかった対策として −地御前に一大水軍基地の構築ー
厳島は海に囲まれた島である。渡海には船が必要不可欠である。海上警固は水軍力が不可欠である。
厳島を中心とする制海権を完全に掌握しておけば、元就の宮尾城築城なぞ考えられないのである。
そのために地御前に一代水軍基地を構築すべく、能島村上水軍との友好関係を築くべきであった。
地御前の地の利は上図で明らかなように、西方の周防からの海路を確保でき、東方からの厳島海峡侵入
を防御でき、さらには展開によっては、広島湾内の警固も可能である。
地御前は海上封鎖の最適基地である。

忘れてはならない元就の小早川水軍勢の進攻防衛網にもなるのである。
因島村上水軍は小早川と密接な関係があり、晴賢方にはなり得ない。
伊予村上水軍は伊予の河野家に仕えており、大内義隆時代に大内の水軍と敵対していた。
三島村上水軍の内、取り込み可能な水軍は能島しかないのである。
しかし能島村上水軍も晴賢、元就どちらに援護するかは、どちらが天下取りになるかの判断がむずかしく
苦悩したと思われる。要は陸に上がればただの河童で、海上でしか活躍できない海賊衆は、陸の大名への
帰属意識は独立心が強いため希薄である。
厳島合戦後の協調路線を前提に相互が厳島の経済権益の分配を遺恨なく実行していれば、状況は全く違
ったものとなっていたであろう。繰り返すが領地支配が安定するまで、事を急ぐべきではなかった。
主君を討ち倒してのクーデターで政権を奪取したことで、止む無く従属した者もおり、旧家臣間にはそれなり
の複雑な対立状況があったものと思われるのである。

能島水軍に対する先の「掟」で厳島からの追い出しを図った経緯から晴賢方への能島援護の可能性は
究めて薄い。万に一つも能島水軍が元就方の援護を決定すれば、もはや厳島攻めは勝算なしとした状況
分析により、岩国の軍議で弘中三河守らは、陸路廿日市桜尾城攻略、一挙に吉田郡山城を攻略と進言し
た根拠になっていると思われる。
ブレーンの進言を排除した晴賢の決断は海路厳島攻めであった。兵力数の圧倒的な差を戦力差と判断
したのであろうか。
晴賢は元就も三島村上水軍の取り込みに触手をだすことは想定の範囲内であったと思われる。
しかし晴賢がとったその策は、独善的なあえて敵を作り出すような愚策であった。
つまり「陶晴賢厳島掟」発布は、厳島海峡から村上水軍を一掃するだけで、それに変わる海上防衛策を講
じている訳ではないので、安堵した元就は狭い厳島での決着を決断した最大の理由といえるのではないか。
それまでの晴賢は陸上戦の経験しかない。今回、厳島の経済権益を独り占めにできる安芸支配において、
海上を支配する(・・能島村上水軍の取り込み) 重要性を軽視した一面がなかろうか。
主君の大内義興時代の家臣として安芸を制圧してはいるが、トップとなっての支配は初めてである。
主従の関係で主の軍事動員命令に家臣が義興時代と同様な協力義務をさほど感じなくなってきている
時代のながれを読んでいたのか疑問である。

「村上水軍」について
南北朝時代には、因島、弓削島などを中心に瀬戸内海の制海権を握り、海賊的行為や、海上輸送の海
上警固として活動した。 後期には、能島(伊予大島)、因島、来島を拠点とする能島村上氏、因島村上
氏、来島村上氏の三家に分かれたと伝わっている。 戦国期には主に毛利氏と同盟関係を結び瀬戸内海
を掌握していた。
村上 隆重(むらかみ たかしげ、生没年不詳)は、村上義益、村上武吉の叔父、子に景広、笠岡城城主。
天文年間の能島村上氏の家督相続争い(能島騒動)においては、甥の武吉(義忠系)を支援し、同じく甥の
村上義益(義雅系)と争った。
この家督相続争いには当時の大内氏と反大内氏勢力の争いという側面もあったようであるが、隆重は大
内氏方として活動していたようで、隆の字は大内義隆から与えられたものとも考えられる。また、のちに
隆重が従った小早川隆景から貰い受けたともされることもある。

(村上水軍の項参考  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


厳島合戦考
厳島合戦についての概略
毛利元就と陶晴賢の戦略の差   大野 門山城 −この城を制した者が勝者ー
厳島を中心とする制海権の完璧なる掌握のために  −地御前に一大水軍基地の構築ー


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